みにくいドバトの子

鳥に癒やされながら人生を深く考えてアレルギー完治とFIREを目指すブログ

人生ゲームでハードモードを選択してしまったようだ

自分の人生や考えを語るためにブログを開設しました. 

アトピー性皮膚炎およびアレルギーで苦しんでいる私の体験談です. 

人間関係のことも書きます. 興味ない方は(病気)のみ御覧ください. 

同じように苦しんでいる方や, 人生に疲れた方, 自殺を考えている方など, こんなやつでも生きているんだなって思ってもらえたらよいかと思います.  

生まれてから小学生まで

幼い頃は, まさか自分がこんなに辛い人生を過ごすとは思ってませんでした. 

この時期は, 健康というよりも人間関係について辛い思いをしました. 

 

幼稚園の頃, 物を取っていかれたり, 耳を噛んでくる子がいました. 

文章で書くとたった1行だけですが, 当時は幼くて対処法もわからず, とても嫌な思いをしたことを覚えています.

親に相談すると, 物を取っていかれても相手にしないのが良いと言われ, 相手にしなくしたらかなり解決しました. 

結局, 物を取って追いかけてくるのが楽しくてやっていたようです. 

(これが人生で嫌な思いをした最初のイベント. まだ序章にすぎない. )

 

幼稚園年長の頃, 滑り台から落ちて頭を地面にぶつけました. 

石頭だったのか骨が丈夫だったのかわかりませんが, 念の為病院に行くも特に異常はありませんでした. 

このとき死んでいれば, 今は苦しまずに済んだのにって思ったりします. 

(余談ですが, その後, 滑り台には高い柵が付きました. )

 

小学校に入学すると6年間のうち3年間も,  ある1人の嫌な担任の先生にあたりました. 

まずは, 1年生. いきなり嫌な先生が担任になりました. 

どのように嫌なのかというのを表現するのは難しいですが, ネチネチしたタイプで, 非合理的な考えの持ち主でした. 

「担任が嫌すぎて学校に行きたくない」と親に言ったことがあるくらいです. 

親は理由も含めてそれを電話で担任に伝えると, 改善するから学校に来てほしいという意図の返答が来ました. (保護者に対しては良さそうな対応をするのでたちが悪い)

そしていざ学校に行くと, その担任から「なぜそんなことを言ったんだ!!」と疑問でもケアするわけでもなく言われました. 

自分はこの担任はどうしようもないやつだと諦めて, 1年我慢すれば担任も変わって解放されると思って我慢しました. 

 

そして2年生, 担任ガチャでまた同じ奴を引いてしまいました. (なんという悪運)

この1年もなんとか乗り切り, 3年生で解放されました. 

3年生で担任をしてくれた人は, もう神様のように思えるほど良い方でした. 

一度, 極端に嫌な奴を味わうと, 普通の人が良く見えるんだと感じました. 

この1年は, 小学校入学以来の楽しい時間を過ごせました. 

(余談ですが, この先生はある生徒からからかわれ, 教師をやめてしまいました. 非常に残念です. )

 

4年生になると, またあの嫌な担任にあたりました. 

ここでその担任の非合理的なエピソードを上げておこうと思います. 

私が持ってきた鉛筆を他の生徒に取られて取り返す際に, 鉛筆の先端で目の下あたりに切り傷ができました. 

その際には, 「鉛筆を持ってきたあなたが悪い」と言われました. 

 

5,6年は, 無事にその担任にあたることはなく, 怖いと評判の担任になったこともありましたが, 一度嫌を味わっている私にとっては全然嫌ではありませんでした.  

生徒との人間関係で言うと, 変にからかってくる子とかいましたね. 

 

小学校高学年になると, 部活動が始まり, 何かしら部活に入るのが当然みたいな風潮があり, みんな流されて部活に入ってました. 

これまでの嫌な経験でいろいろと自分の強い意志を習得した私は, 特に部活に入りたくなかったため, 入りませんでした. 

(クラス30人くらいいて, 部活に入らなかったのは自分を含めて2人だけだった. )

 

ここまでは人間関係について嫌な思いをしてきましたが, 本当の地獄はここからです. 

人間関係は, 怒りをぶつける対象がいるだけまだマシなんです. 

病気は誰を恨むこともできず,  どうしようもありませんでした. 

中学生から高校生まで

この時期では, 人間関係と病気の観点で書きます. 

(人間関係)

中学になると, 部活が強制だったので, 部活に入りました. 

3年間で顧問の先生が毎年変わりました. 

その中で, 1人嫌な顧問にあたりました. 

これまでは部活で試合をして強い人が大会に出れるというシステムだったのですが, 顧問が変わってからは, (土日の練習は自由参加だったにもかかわらず)土日に練習してない人は大会に出れないという謎ルールを設けられて嫌な思いをした覚えがあります. 

 

自転車通学で, 同じマンションに住んでいる奴と最初は一緒に登校していたのですが, 途中から嫌がらせが始まりました. 

自転車で私が通ろうとする道を邪魔するようにわざとクネクネして通れないようにしてくるのです. (嫌がらせというより面白がっている感じなのかな. )

一人で登校しようとしても, 家を出ると待ち伏せているのです. 

どう解決したか記憶が曖昧ですが, 本当に鬱陶しいからやめてほしいって言った記憶があります. 

 

中学校の内申点で推薦入学して高校に入りました. 

高校の部活も強制でしたが, 皮膚が酷くなりすぎたときに, 顧問にその状況を言って部活動をやめました. (詳しくは(病気)を参照. )

「治ったら再開しますか」って言われましたが「医者に治らないと言われました」というと「そうですか. お大事に. 」と言ってくれました. 

(病気)

これまでは基本的に健康だったんですが, 中学1年の途中から, 顔の皮膚が腫れてくるようになりました. 

顔のいたるところの毛穴が腫れて, 膿が出てくるのです. 

ニキビとは違って, 毛穴のかなり奥の方でひどく腫れて, たんこぶみたいに膨らみ, 痛みを伴います. 

あまりに腫れて痛いので, 安全ピンで針を刺して膿を出すことを頻繁にしてました. 

膿の通り道になるであろう場所を針で刺すとほとんど痛みがなく皮膚に刺さります. 

(安全ピンの針部分がすべて皮膚に埋まるほど腫れていることもしばしば. )

針を抜くと, 血と大量の膿が出てきて少し楽になりました. 

もちろんその一回だけで収まるわけではなく, 毎日その箇所から膿が出ていき, 徐々に収まってきます. 

最後の方には, 膿の芯のようなものや, 毛が出てくることがありました. 

しかし, この腫れが収まってくる過程で, 違う箇所が腫れてくるので決して嫌な気分から逃れることはできませんでした. 

なので, 毎日自分の血と膿を見る日々が続きました. 

顔はクレーターだらけのたくさんの火山噴火状態です. 

この状態で学校の行くのは精神的に辛いものがありました. 

一度, 親に「もう針刺すのやめやぁ」って言われて, 一箇所針を刺さずに自然に腫れが引くのを待ってみました. 

すると, 時間がかかって痛みは引いたのですが, ずっと皮膚の内部に何がかあるという違和感が残ってしまいました. (現在もあって, ふくらんで見える)

結局, 膿を摘出しなかったことで, 内部に老廃物が溜まってしまったようです. 

後からその箇所に針を刺しても痛いし, ほとんど何も出てきません. 

塊になってからの摘出は難しいのだと後悔しています. 

(自分で刺すことを推奨はしてません. 病院で膿を抜いてもらったこともあります. )

この頃は, 思春期特有のものなのかなって思ってたので, 時間が解決してくれると思ってました. 

 

しかし, どんどん酷くなってきます. 

 

高校に入ると, これまでの腫れに加えて, 全身の皮膚が乾燥してくるようになりました. 

あまりに皮膚が乾燥して剥がれてくるため, 病院に行きました. 

保湿用のヒルドイドを貰って, 乾燥を抑えていました. 

高校2年になると, さらに悪化し, 足や背中, 頭の毛穴も腫れてくるし, 乾燥もこれまで以上に酷くなり, かゆみを伴うようになりました. 

足のふくらはぎが, 毛穴が原因とは思えないくらいにパンパンに腫れてきて, 何もしてなくても酷い痛みを感じました. 

あまりに全体的に腫れているのでどこに針を刺すべきかわからなかったのですが, 何日も時間が経つと, 膿の出口がわかってきます. 

そのタイミングで針を刺すと, これまでに見たことのない量の大量の膿が出てきました. 

風船の空気が抜けるように一気に腫れが引いていきました. 

しかし, これはいろんな毛穴が腫れてくるうちのたった一箇所に過ぎません. 

腫れ以外の症状として, 皮膚全体が真っ赤でボロボロになり, 酷いかゆみを伴うため再び病院に行きました. 

そこで「アトピーですね」と言われました. 

小学校の頃まではなんともなかったので衝撃を隠せませんでした. 

そして, 「ここでは手に負えないから専門の皮膚科に行ったほうがいい」と言われ, 病院を変えました. 

皮膚科専門の病院に行ったときに, 皮膚がイカれすぎていて, 体温調節をできていないことに気づきました. 

病院に入ったときに, やたらと寒いと感じて震えが止まらず毛布をかけてもらいました. 

おそらく, 皮膚がボロボロで乾燥しすぎていたせいで, 保温できてなかったのです. 

その病院では, ヒルドイドとステロイド, さらに飲み薬をもらいました. 

薬を塗ると一時的には楽にはなりますが, もちろん治るわけではありません. 

この頃は治ると期待して通い続けてました. 

 

地獄は更に続きます. 

同じく高校2年の頃, ついに首が回らなくなりました. (首だけでなく関節すべてやられてた. )

首の皮膚がぐちゃぐちゃになり, ずっと汁 (血小板)が出て止まらないため, 寝れない夜でした. 

汁が出続けるので, タオルを巻いてずっと吸収していました. 

朝になると, 一部の血小板が固まり, パリパリになりながらも, 汁も出ていて湿っているというなんとも気持ち悪い状態でした. 

その日は学校があったので, 我慢して学校にいきましたが, ほとんど首を動かすことができませんでした. 

学校が終わってすぐに病院に行きました. 

専用の機械で首にステロイドを塗ってもらい, 少し楽になりました. 

首以外では, 足が特にかゆく酷い皮膚の状態でした. 

もう正常の皮膚の面影が跡形もなく, まるでゾンビです. 

かゆすぎて毎朝, 布団が血だらけになってます. 

あのアレルギー独特のかゆみを我慢するのは不可能です. 

どれくらいかゆいかを表現すると, 

  • 蚊なんて比にならないくらいかゆい
  • 足を切り落としたいくらいかゆい
  • 皮膚の中で何か蛆が蠢いているようなかゆみ
  • かゆすぎて寝れないことがある

といった感じです. 

このかゆみを経験していない人からは, 「掻くから酷くなる. 掻かなきゃいいじゃん」とか「掻くのは甘え」とか言われますが, 掻く前から既に皮膚が象のような変な皮膚になっているのです. 

そもそも我慢するのは不可能だし, 掻かないように軽くつねると, そこから血が出てきます. それくらい弱い皮膚になっているんです. 

あまりに酷くなったので, 病院で薬を塗った後に, 手足を包帯でぐるぐる巻きにされました. 掻かないようにする工夫ですね. 

こうすると寝ている間に無意識で掻いてしまうのをある程度防ぐことができ, 少し改善しました. 

 

高校生活で辛いのは, クーラーとプールでした. 

クーラーで皮膚が乾燥しやすくなってパリパリになってました. 

特に, プール後のクーラーは地獄でした. 

人間関係では, こっちを見ながら陰口をコソコソ言っている女子グループがあったので, 「なんか意見あるなら直接言え」と言うと, 陰口は止まりました. 

 

これだけ酷い皮膚状態でただ勉強をするだけの毎日だったので, 毎日自殺することを考えてました. 

なぜ死ななかったか. 結局自分には死ぬ勇気がなかったのです. 

遺書も書いて, ロープも用意した. でも死ねなかった. ただそれだけ. 

もしも押すだけで楽に死ぬスイッチがあれば押していただろう. 

いっそのことほおっておいたら死ぬ病気なら良かったのにとも思いました. 

 

病院に通っているときに2パターンの先生に出会いました. 

  • 一生懸命治そうとしてくれる先生
  • もはや治すのを諦めている先生

最初に一生懸命治そうとしてくれる先生に会ったときは, 良かったのですが, 結局症状に波があって, 一生懸命に治そうとしても治らないということを悟ってからは, 一生懸命治そうとするのが無駄な努力と感じてストレスがたまりました. 

もはや治すのを諦めている先生は, 頻繁に病院に来いとか言わないし, ただただ薬をくれるだけなので, 自分には合っていたのです. 正直, 病院に通うこと自体がストレスでしたから. 

結局人間は, 期待をするから絶望を感じるのです. 

私は治すということを諦めて, 期待しないことにしました. 

薬がなくなってきたら病院にもらいに行くだけ. 

死ぬ勇気もないし, この病気と薬を塗りながら付き合っていくしかありません. 

絶望の1年間

これまで模試でうまくいっていた試験が, 大学受験本番でやらかして, 数点足りずに受験失敗しました. 

これは単純に本番に弱かったのですが, 皮膚の状態も最悪の状態の受験で, マークシートに血を付けてました. 手首がボロボロだったので血はしょうがないですね. 

受験に落ちた報告で高校の職員室に行ったときの最悪の出来事を覚えてます. 

普通何かしらフォローしてくれると思うのですが, 報告しに行ったときにいた教員が言ったのは「理系以外の他の教科もちゃんとやらないかんわ」と言ってきました. 

(私は理系教科に強く本番で理系をやらかして落ちたわけなので見当違いなんですが. )

こんなセリフを言われると思っていなかったので, 精神的にやられました. 

 

これまで健康状態は最悪でも学業に関しては順調にうまくいっていた私は, 受験失敗を経験しプライドがへし折れました. 

正常な皮膚もなければ, 職業(学生で)もない状態なわけです. (社会的には無職. ) 絶望だけが残りました. 

受験は通常通り行けば, 受かっていたのでこの1年で何をやるんだとなりました. 

せっかく高校3年間の辛抱だと思って皮膚を我慢して勉強してきたのに, もう1年続くのかと思うと, 耐えられませんでした. 

さすがのショックで数ヶ月引きこもりました. 

 

数ヶ月経って, このままではただただ時間を無駄にすると考えて, 今しかやれないことをやろうと切り替えました. 

方針としては, 来年受験するとして, 受験の知識は忘れない程度にやって, なるべく他のことをやろうと決めました. 

(ただし, 大学でも使うであろう英語と数学はちゃんとやりましたが, 国語はほぼ何もやってません. )

最初のうちは, 気分転換に自転車で図書館を回ってCDを無料レンタルして楽しんでました. 

途中で自分の進路について見直しました. 

現役のときは, 数学が好きという理由だけで理学部数学科を志望していたのですが, 改めて他の学部・学科も視野に入れて考えて見ることにしました. 

とは言っても, 名前を見ただけでは結局入ってから何をやるかわからないし, webで調べてもよくわかりませんでした. 

そんなときに, 兄から「実際にやってみんとわからんやろ」と言われて, 確かにそうだと思い, 自宅でもできるプログラミングに挑戦してみることにしました. 

最初は数学Bの教科書の最後に載っているBASICから始まり, webで独学で勉強してC, C++, Javaを学び, ゲームを作ったり, 数学系のアルゴリズムを書いたりしました. 

そして, 良さそうだと感じて, 工学部情報工学科を志望することに決めました. 

さらに情報系なら家でも作業できるので, 実験で大学に残らなきゃいけないということもないだろうとも思って, かなり良いのではないかと思いました. 

 

現役の頃から進路を変えるならこの1年も無駄ではないと感じ始め, 気持ちに余裕が出てきました. 

心のストレスが減ると皮膚の状態も高校時代よりかは良くなっていました. (それでも酷いんだけど. )

気分転換におばあちゃん家の犬の散歩に行くようにもなりました. 

動物と触れ合うのは, 心の健康状態を良くしてくれると感じました. 

大学生から大学院生まで

そして, 無事に大学に受かりました. 

失うものがなく, なんのプレッシャーもなかったのでリラックスして受けることができました. 

(人間関係)

入学式を終えると既に仲良しグループのようなものが一部で形成されていました. 

私は大人数が好きではないので, ある一人に話しかけました. 

その人と大学でよく関わるようになりましたが, 勉強を教えたり, レポート用紙を貸してあげたり, こちらから与えることだけで何も返ってこないなぁと感じてました. 

(特に毎回レポート用紙を貸してと言われていて, 絶対返すからと言われるも案の定返ってきませんでした. )

大学2年生になると, その関わっていた人も別のグループと関わるようになり, 私は孤立しました. (一緒にいて得るものがなかったので結果オーライだった. )

みんなサークルや部活に入っていましたが, 私はどこにも属していなかったので, 話す相手がいませんでした. (でも, もともと飲み会が嫌いなので寂しいとは思ってませんでした. )

特に利用されているなぁと感じていたのは, 関わりがなくなったのにテスト時期だけ聞きに来たときです. 

関わる人間はGive and Takeできる人じゃないと価値がないと思いました. 

大学3年になると, グループワークであるプログラムを実装するときがありました. 

そのときに初めてSlackというコミュニケーションツールを使いました. 

そのグループで, 全く連絡取れない奴や, 連絡取ったら一瞬で反応が返ってくる奴がいました. 

グループワークなのに, 提出期限近づいても全く連絡取れない奴にめちゃくちゃイライラしました. (自分でやったほうが早いっていつも思ってた. 性格診断したらドンピシャでビックリした: “管理者”型の性格 (ISTJ) | 16Personalities. )

グループのK君 (Slackの反応が早い人)が, 講義時間外に私を呼び出して, Javaのawt / swingを教えてほしいと積極的に言ってきました. 

こんな体験は初めてだったので, ワクワクしながら教えました. 

大学4年になり, 研究室配属です. 

K君と一緒になりました. 

話していくうちに, 今までにないくらいに話が合いました. 

それに私にないものをたくさん持っていて, 話しているといろいろ学びがあるなと思いました. (今の職場についているのもK君のおかげです. )

K君は私よりかなり年上だと判明して, 一度就職してから大学に入ったことを知りました. 

私は一浪しているので, 現役で入っていたら関わっていなかったわけです. 

お互いに現役ではないから, 入学のタイミングが一緒になったのは奇跡だと感じました. 

K君は今の唯一の親友です. 

 

そして, 大学を卒業しました. 

一人で講義を受けてきて過去問も回ってきませんでしたが, 成績優秀者として卒業できました. (大学は一人だと単位取れないは嘘です. )

その後, 大学院にそのまま推薦入学しました. 

進路決めるときと同じく「やってみないとわからない」精神から修士1年のタイミングでインターンシップに行きました. 

インターン先の企業は, K君が紹介してくれた就活イベントで来ていた企業の1つでした. 

難しいと思われていたインターン先でしたが, 無事合格できました. (むしろ他は落ちましたが. )

インターン先では, 非常に優秀な人が多いなぁと感じました. 

大学で感じたイライラが全く無かったのです. 

これが今の就職先です. 

(病気)

大学に進学すると, 皮膚以外にもう一つ健康状態が悪化しました. 

呼吸が苦しくなったのです. 

具体的には, 鼻水が喉側に降りてくる感覚 (後鼻漏)がずっと起こって, 常に痰が生成されている感覚に襲われます. 

その結果, 喉の変なところで痰らしきものが止まるため吐き気が頻繁にしたり, 喉側に降りてくるため常に満腹感がありあまり食べれない, 常に痰の取り出し作業をガーガーやらなくちゃいけない, 声がガラガラになるという状態でした. 

毎晩, 食べたあとに吐いてしまうということがありました. 

 

耳鼻科の病院に行きました. 

レントゲンを取り, 軽い副鼻腔炎といわれ, アレルギー性鼻炎があるから治らないと言われました. 

あまりにも苦しいので, 別の病院に行きました. 

その病院では, 喉を見るためカメラを鼻から通し口から出てくるというのを経験しました. 

(実は小学校の頃, 冬だけ後鼻漏で苦しくて同じくカメラを通したことがあったが, 何もなかった. それが年間の症状になって, さらに酷くなったのだ. )

その病院では, Bスポット治療法が良いといわれ, やることになりました. 

綿棒のでかい版みたいやつにうがい薬っぽい色のやつを先端につけて, 喉の奥の方まで口に思いっきり突っ込まれました. 

想像してみてください. オエッってなります. 

棒を突っ込まれたまま喉の奥に薬をつけるように動かすため, とても耐えられるものではありませんでした. 

終わった後に声が出ませんでした. 苦しすぎて死ぬかと思いました. 

それは何回もやる必要があるらしく, また来てくださいと言われました. 

そこで私は「これやったら治るんですか」と聞くと, 「それはわからない」って言われました. 

あの拷問まがいものを再び受けるのはもう無理なので, 私は行くのをやめました. 

皮膚だけでなく, 喉に関しても諦めたのです. 

 

皮膚の状態が酷いと人と接するのが嫌になります. 

私は人と関わるのにはうんざりして, 自然と触れ合いたいと感じ始めました. 

私の母は, 散歩にカメラを持っていって, よく鳥の写真を撮って私に見せてくれました. 

身近にこんなにいろんな鳥がいるんだと思わされて, 自分でも見てみたい, 撮ってみたいと思い始めました. 

大学4年の頃にカメラを買ってバードウォッチングをはじめました. 

これによって心の健康状態は保たれたと思います. 鳥かわいい. 

 

大学院進学後, あいかわらず皮膚も呼吸も苦しいので, 血液検査を受けることにしました. View39というアレルギー検査です. 

実はこの検査, 一番最初に皮膚科に行ったときに検査したいっていったら「すべて陽性になって何も食べれなくなるからやらないほうがいい」と言われていました. 

しかし, 自分のことを知りたくなったので決心して検査しました. 

View39

View39

すると結果は, 口に入れる食餌系はある程度大丈夫でした. 

問題なのは吸入系で, ほとんどすべて陽性でした. 

なかでも, ハウスダスト, ヤケヒョウダニ, マラセチアが高い数値を示しました. 

住んでたところが絨毯だったので, フローリングに変えるように言われました. 

(ダニの死骸は掃除機でも取れないらしいです. )

しかし, もともとマンションに埋め込まれているタイプの絨毯だったので, 除去できませんでした. (いまはフローリングに住んでいます. )

マラセチアは, 毛穴が腫れてくるやつに関係があると言われて, いままで腫れていたことが納得できました. 

花粉系もすべて陽性で, 花粉カレンダーを見ると, 年中悩まされるということがわかりました. 絶望ですね. 

View39をやると非特異的IgEというものがわかるのですが, 通常だと170以下の値が, 私の場合は31542もありました. まさかの3万超え. 

IgE

IgE

通常の人の200-300倍近くもアレルゲンに反応しやすいのです. 

今まで自分に起きていた現象に説明がついて少し安心しました. 

治るわけではないですが, 自分を知ることは大切ですね. 

就職した現在

就職して, 人間関係での不満は全くなくなりました. 

結局, 自分が何をやりたいかはわからないし, やることなんて変わっていく. 

何をやりたいかよりも, ストレスを感じないような職場環境 (風習)と優秀な人間と関わりたいという気持ちで就職しました. 

 

就職した現在でも, 健康状態は全く治っておらず, 未だに皮膚が腫れてくるし, 顔はボロボロになるし, 呼吸も苦しいことがあります. 

荒れた皮膚の箇所は髪の毛がごそっと抜け, 耳の中でさえも腫れてきます. 

 

アトピー / アレルギーはすべての季節で辛いです. 

夏は塗った薬が汗で流れて, 汗が蒸発して乾燥するので地獄. 

冬は空気が乾燥しているので地獄. 

春・秋は花粉が多くて地獄. 

どうしようもないですね. 

ニュースでアトピーに効く薬とか出るけど, 全く期待しないようにしてます. 

 

これだけ辛いと, 未だに生きる目的がわかりません. そんなもの元々ないのでしょう. 

しかし, 周りの人たちは活き活きしているように見えます. 

私の残りの人生は消化試合です. もう何も期待もしてないです. 

ただ鳥を撮って, 観察して自然と触れ合うだけです. (鳥の力はすごくて, 私の影響でK君も鳥見を始めました. )

私は人間をやめて鳥になりたいのだ. 

人生ゲームのードモードが病気で濁って, ードモードになったのだ. 

私の鳥写真Instagram