みにくいドバトの子

鳥に癒やされながら人生を深く考えてアレルギー完治とFIREを目指すブログ

人間との関わりで思うこと

最近、意見を書く頻度が減ってきましたが、書きたいことは実はまだまだあります。

最近はトラリピで埋め尽くされているこのブログですが、本来の目的は、自分の人生と意見を残しておくために始めました。

意見は熱量があるタイミングでしか書くモチベーションが保てないことや、一言で終わるようなことも多く、ブログとして公開するのが難しかったのです。

ちょっとずつ復活していこうとも思ってます。

 

さて、本題。

人とのランチや飲み会に参加すると、ほとんどの場合、時間とお金が無駄になったと感じます。

やはり私は社会性のある生き物ではないことを改めて感じたので、リアルでは人間との関わりを持たずに生きていくことを決めました。(改めてと書いたのは以前にもこのブログで言及したことがあったためです)

「年度末1回くらいは」とか思って参加しても、やはりこの気持ちは変わりませんでした。

もともとほとんど断ってきた飲み会ですが、今後、飲み会はどれだけ誘われようと、すべて断ることにします。

それに参加せずに切れる人間関係なら別にそれでいい

本来、人間関係にお金は必要ないはず。

効率・能率・コスパ重視人間なので、それに寄与しないことは、本質的に意味なく無駄。

 

ほとんどの場合、会話には無駄な部分が多い。

会議なら結論だけあればいいし、雑談なら面白い部分だけあればよい(すなわち漫才?)。
だから(目的が無く中身のない)雑談は苦手、というか嫌い。

結論ベースで話す人とはストレスなく話せるし、ポイントを絞って聞くことができる。
一方、そうでない人、すなわち、最後まで聞かないと結論がわからない人、ぐだぐだ話して何を主張したいかわからない人との会話は、非常にストレスが溜まるし、時間が無駄だと感じる。

 

大人数だと意思決定までの効率は落ち、非論理的な人間に遭遇する確率が上がるため、少人数(できれば1,2人)を好む。

16personalitiesも1,2人を好む管理者

群れるドバトタイプではなく、少人数を好むキジバトタイプであるということだ。

そういった点からもキジバト様は崇拝すべき対象である。

 

私の評価指標で人生の最適化を考えると、2つ解が出てくる。

  • 死ぬ
  • 人間との不必要な関わりをやめる

前者は極端な解なので一旦置いておくとすると、後者が残る。

無駄な時間を排除することで自分の時間ができるので、自分のやりたいことやればいい。

やりたいことがなくても、無駄と感じることをやるよりはマシだ。

 

今後の計画は、今年中に引っ越して、鳥類と一緒に生きていく。人類はだめだ。